夢が現実になった日。チームYWPDの起こした奇跡。(前編)

夢が現実になった日。チームYWPDの起こした奇跡。(前編)

日本中が熱狂した、ツール・ド・フランス第15ステージ。

日本中の自転車ロードレースファンが、絶叫した夜だったのではないか。

2014年、ツールドフランス第15ステージは、日本の自転車競技界にとって歴史的な一日となった。
総合優勝争いの行方等、レース全体のレポートは別記事に譲るとして、ここでは昨夜の出来事を日本人選手の活躍にスポットを当てて再構成し、あの興奮を追体験してみたい。

※地名、コース概要は架空のものです

第15ステージ概要

ピレネー連戦の最終日となった第15ステージは、クライマーの独壇場になることがあらかじめ運命づけられていた。なにしろ登りに次ぐ登り、全編にわたってひたすら険しい山脈に挑み続けるコースなのである。

最初の2級山岳はほんの小手調べ、続く1級山岳をクリアすれば、待ち受けるのはこの日のハイライトである超級山岳ラ・シュルテーヌ。息つく間もなくヘアピンカーブの連続するダウンヒルに突入し、最後は1級山岳ラブリヤック峠の山頂ゴール。
まさに山岳ポイントの大盤振る舞い、山岳賞を狙うクライマーたちが火花を散らすステージだ。

このステージに、日本中の期待を背負って挑んだのがチームYWPDの選手たち。
既に2日前の第13ステージ、結果として山岳賞・ステージ優勝ともに逃したもののポイント争いの上位に食い込み、今年の山岳ステージにYWPDありと印象づける活躍を見せつけた。
この日もまた彼らの活躍を見守るべく、意気込んで画面の前にスタンバイしたファンも多かったはずだ。
もちろん我々サイクルタイム編集部も、固唾を呑んで走り始める選手たちを見守った。

だが、レースが始まって早々に、そんな我々の期待を裏切る出来事が起きる。

成功したエスケープと、思わぬアクシデント。

このステージでもセオリー通り、序盤でエスケープ集団が形成された。18名となかなかの大所帯となった先行集団の中には、この日も御堂筋翔の姿がある。

2日前にも逃げに参加したばかりの御堂筋だが、走りは快調。第13ステージで実力を証明して見せた日本のルーキーを、エスケープ集団も好意的に受け入れたようだった。
メイン集団の前方にポジションを取った総合勢が牽制しあう展開となった影響もあり、エスケープは一度で成功。淀みなく先頭交代を繰り返しながらゴールを目指した混成軍は、メイン集団に最大で10分以上の差をつける。

一方、東堂・巻島らチームYWPDの主力はメイン集団のやや後方に位置取り。
最初の2級山岳では脚を温存し、続く1級から超級までのどこかでアタック。御堂筋と合流する筋書きであった。

アクシデントが起きたのは、このときだ。

大規模落車――。

道幅が急激に狭まり、コース取りで熾烈な争いが起きていた登りの中程だった。ヘアピンカーブの立ち上がりで、チームSPYのアシストがハンドル操作を誤り転倒。後続の選手が次々と引っかかり、数十人が道路に投げ出される大惨事となった。
前述のように道幅が狭く、転倒した選手に前を阻まれて後続も足を止めざるを得ない。転倒したバイクのうち数台にはパンクやフレームの歪みなどのメカトラブルが発生し、裂傷等の怪我を負った選手も幾人もいたが、チームカーが近づくのも難しい大渋滞。無線で呼ばれたメカニックがスペアバイクを担ぎ、選手の集団をかきわけて坂を登る姿も見られた。

幸か不幸か、この落車事故に巻き込まれた中に、総合優勝争いをする選手は不在。落車を免れた集団の前半分は速度を落とすことなくレースを続行した。

後方に取り残されたチームYWPD。

後方を走っていたチームYWPDにとって、総合勢の巻き込みがなかったことは紛れもなく凶報であった。幸い落車に巻き込まれた選手はいなかったものの、位置取りが災いして長い足止めを余儀なくされる。
混乱を極めた現場が落ち着き、後方集団が再び走り始めた頃には、エスケープ集団のみならずメイン集団すら、はるかに先を走っていた。

ほぼ、最悪と言っていい状況。
この日のチームYWPDの命運は、逃げに乗った御堂筋翔ただ一人に委ねられたかに見えた。

――だが。
遠く日本で画面を見つめていた(あるいは現地にて観戦していた熱烈な)自転車ファンの中でも、学生レースに関心をお持ちの一部諸兄の胸には、等しく同じ予感が兆していたのではないだろうか。

それは、かすかな希望。
逆境、追撃、そして登り――この状況に、誰より強い男がいる。

山王、小野田坂道。

困難な状況で、たったひとつの目標に向かい、仲間のためにペダルを回す。そうした状況下における、この小柄なクライマーの突破力は想像を絶する。

果たして、めまぐるしく切り替わるカメラがほどなく捉えたのは、後続を突き放し、四人が一団となって坂を登るチームYWPDの選手たちの姿だった。

先頭でチームを引くのはやはり小野田。曲げた肘をぐっと横に張り出し、ハンドルの前にかがみ込む独特の姿勢。そしてひたむきに道の先を見据える彼の、驚異的なハイケイデンスを支えるのは、そう――。

「あー、歌ってますね!」
解説の粟山氏と同じ内容の叫びを上げたファンは、全国にどれだけいただろうか? もちろん、当誌記者もそのひとり。

会話でも、呼吸でもない。小野田坂道の口元の動きは明らかに、彼が歌を口ずさんでいることを示していた。
円いメガネの奥の目は楽しげにキラキラと輝き、彼がまったく希望を失っていないことがわかる。
そして彼の後方を走るチームメイトの表情をカメラが映し出したときには、諦念はもはや完全に過去のものとなった。

『ええ、もちろん。みんな歌えますよ』
覚えておいでだろうか。開幕前の当誌の取材に応え、真波山岳が保証した言葉である。(みんなということは、御堂筋も? という問いは、笑って黙殺されてしまったが。)

これは夢でも、幻でもない。

『小野田を先頭に、全員で歌を口ずさみながら山を登る』――。

小野田坂道という選手、その逸話を知る誰もがひそやかに期待していただろう光景が、自転車ロードレースの最高峰たるツール・ド・フランスの道の上で、とうとう実現した。

しかも小野田に導かれともに頂上を目指すのは、一番のライバルであり盟友・真波山岳、小野田が尊敬してやまない先輩・巻島裕介、その巻島と並び立つ山神・東堂尽八。
日本ロードレース界の誇る、綺羅星のごとき若きクライマーたちだ。

ああ、なんと胸の熱くなる光景であっただろうか。

現地中継スタッフの度肝をも抜いたのであろう、ぴったりと張りついたバイクカメラが映し出す中、小野田を先頭としたチームYWPDはたった4人で山道を駆け上がり、総合勢を擁するメイン集団に追いついた。

(なお余談であるが、この困難な役割を果たしきった小野田の安堵の笑みや、巻島が労るようにその小野田の肩を抱いた仕草にときめいた女性ファンがいかに多かったかは、この時間帯のTwitterハッシュタグ「#FightYWPD2014」を辿れば一目瞭然である。)

ほぼ同時に、エスケープ集団が最初の山岳ポイントを通過。タイミング良く飛びだした御堂筋は僅差で2位となり、2日前に稼いだポイントと合わせて、この時点で山岳賞争いの上位に躍り出る。

暗雲立ちこめたかに見えたレース展開は一転。最高峰のレースで繰り広げられる若き日本人選手らの闘いに、遠く日本で観戦するばかりの我々自転車ロードレースファンの興奮は高まるばかりであった。

波乱の闘いは、まだまだ続く。

このように序盤から大きな盛り上がりを見せた第15ステージ。しかし驚くべきことに、この長い長い一日の出来事を振り返ったとき、この場面はけしてハイライトではなかった。
最大の山場をメインディッシュとするならば、いまだ前菜にすぎないのである。


(後編に続く)

photo by Pixavay (https://pixabay.com/photo-663342/)

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サイクルタイム編集長
編集長兼サイト制作者。某箱根の山神の走りに惚れ込み、高校生たちのレースを追いかけている内に、気がつけばこんなところまで来てしまいました。選手たちの勇姿は勿論、自転車に関わるさまざまな人々の魅力を多方面からお伝えして行ければと思います。