満を持してツールデビュー。今年、世界が真波を知る

満を持してツールデビュー。今年、世界が真波を知る

あの日、確かに羽根を見た。

七年前の高校総体ラストステージ、最高にきつい急勾配のその途中、きみはなぜか大きく笑った。
華奢な背中から自由の羽根を解き放ち、風を捕らえ、陽光をはねのけ、強く強く羽ばたいた。
どこまで行くのか。あの青い空のその果てまでか。
胸を突かれた。無限大の可能性に目眩がした。
ああ、彼はきっと世界を穫る。そう確信した。

そして、かつての少年に見た夢が、今、現実となる。

 

出会いは灼熱のフジヤマ

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七年前の全国高等学校総合体育大会自転車競技大会で、初めて彼を見た。
常勝校として名高い箱根学園で一年生ながら代表に選ばれた彼は、注目はされていたものの、最終日まで特に目立った活躍をするでもなく、淡々とチームに貢献していた。

一日目、チームメイトの東堂がレッドゼッケンを賭けた熱い戦いを繰り広げている最中も、二日目、主将の福富が劇的なレース運びでイエローゼッケンを手にした瞬間も、彼はただひたすら、チームの歯車としてペダルを回していた。

ところが三日目、彼は一人、山頂のゴール目がけて走り出す。勝負の相手は総北高校の小野田、同じく一年生のルーキー対決。
結論から言えば、この大会は小野田のための大会だった。ロードレースを本格的に始めたのはたった数ヶ月前、集団落車に巻き込まれて一時最下位に落ちるも、不屈の精神で先頭まで這い上がり、個人総合優勝まで成し遂げた。これ以上にドラマチックな展開は、そうあるまい。
だが、ぼくが惹かれたのは勝った小野田坂道ではなく、寸前でかわされた彼のほうだった。

彼の名前は真波山岳。まだ笑顔に幼さの残る、それまでは無名の選手だった。

しかし、普通ならすくみ上がりそうな局面で飛び出せる度胸の良さ、急勾配をはねのける強い脚、そして何よりその背に閃いた白く大きな羽根の残像が、ぼくの心を掴んで離さなかった。

あの羽根を広げ、彼は飛ぶ。遥か彼方、広い世界の山頂へ。
力一杯拳を握りしめ、声を嗄らして彼を応援しながら、ぼくはそうはっきりと予感した。
大会後のコンタクトは叶わなかったが、箱根学園の選手ならいつかまた会えるだろうと思い、その日は胸を弾ませながら下山した。

 

勝利とは何か、敗北は罪か

それから数ヶ月後、S県で行われたヒルクライムレースで真波を見かけた。

しかし、一瞬彼だとは気付かないほど、雰囲気が変わっていた。
昏い目をしていた。校名入りのサイクルジャージがだぶついて見えるほど痩せていた。そして、チームメイトすら寄せ付けず、人気のないところで一人、愛車を抱えて座っていた。
たった一度の敗北、だがそれは王者と讃えられ続けて来た箱根学園にとって許し難い一敗だったのだろう。結果としてその最終的な責任を負うことになってしまった真波は、当時だいぶ追いつめられていたらしい。

あんな状態で走りきれるのか?

それなりに標高差のある厳しいコースだったため、肉の落ちた頬を見て心配になったのだが、そちらは杞憂に終わった。
真波は速かった。気迫のこもったペダリングは、まるで雲の上を駆けるペルセウスのようだった。
U18ではぶっちぎりの優勝。コースレコードも更新し、もう一段階上のクラスでも充分に戦えると周囲は絶賛した。

けれども、ぼくは落胆した。

彼は速い。でもそれだけだ。並みいる観客に息を飲ませた、あの魂を燃やし尽くすような輝きは、その日の走りのどこにも見られなかった。
そして、あんな自転車の乗り方では、世界に羽ばたくことはできまい。

そのままシーズンオフに突入したこともあり、ぼくは真波のことを忘れた。ふとした日常の合間、たとえば庭の隅にひっそりと福寿草が咲いた時などに、なぜか思い出しては残念な気持ちになることはあったが、その程度だった。

 

それはまるで、天使の帰還

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だが、翌年のインターハイ、ぼくはまたあの羽根を目撃することとなった。

冬の間、真波に何があったかは知らない。しかし、彼は戻って来た。きらきらと大きな両目を輝かせ、誰よりも楽しげに、高校総体の舞台に現れた。

一日目、その前年、彼の先輩である東堂が激戦の上勝ち取った山岳賞を目指し、真波は大空へと飛翔した。箱根学園にとっては屈辱の二桁台、13番のゼッケンを背負いながら、誰よりも速くリザルトラインへと駆け上った。
前回優勝校である総北高校の手嶋とのデッドヒート、まさかのメカトラ、その全てをねじ伏せて、真波は勝った。
そこからの彼の活躍は、ぼくの予想を遥かに上回った。

彼を追いかける。あの日、表彰台の上の彼を見上げながら、ぼくはそう決めた。

「珍しいひとですね」

高校総体の後、きみを取材したいのだがとオファーしてみたところ、彼は臆するでもなく照れるでもなく、からりと笑ってそう言った。そして、いいですよと頷いたのだ。

 

羽ばたきの音が聞こえる

真波は大学に進まなかった。

高校卒業後に選んだ進路は、ベルギーの新設チーム。
渡欧すると聞いたときは少し驚いたけれど、よくよく考えてみれば、これはとても良い選択に思えた。彼のような感覚で走るタイプの選手は、レベルの高いところで揉まれるほうが伸びる。

そしてヨーロッパの名だたる山岳を、本人曰く「楽しく登りまくった」結果、彼はチーム内での立ち位置をするすると確立させていった。
とはいえ、自転車競技の世界は甘くない。真波は小さな勝利を丁寧に積み重ねながら、ただひたすら飛び立つ機会を待ち続け、ようやくプロチームからのオファーを手にした。

元チームメイトの東堂尽八に遅れること二年、しかし二十二歳という充分な若さでのプロデビューだった。

 

祝福のシャンパンを、きみに

その翌年、開幕早々、真波のチームでアクシデントが続いた。結果として、世界最高峰のステージレース、ツール・ド・フランスに真波のエントリーが決まった。

「ツールを走ります」

そう電話をもらったとき、ぼくは一瞬、絶句した。初めて真波を見たあの夏の日から、すでに七年が経っていた。腹の底から沸き上がる震えに負けて声を揺らしながら、ぼくは応じた。おめでとう、必ず観に行く、と。

 

覚悟を決めろ。山の神様が待ってる

そしてぼくは今、フランスの空の下、スタートフラッグが振られるのを今か今かと待っている。

今年のスタートは世界遺産モン・サン=ミシェルだ。
レース前につき、声をかけることは叶わなかったが、真波は遠目に確認した。さすがに緊張しているように見えたが、実際のところはどうだろうか。山岳あり、平坦ありの23日間に及ぶ過酷なレースだ。まずは走りきってほしい。

もう一人、今年のツールには日本人が出る。常に真波の先を行く、同窓の東堂である。
彼とはたまたま行き会えたので、少し話ができた。

調子はどうかと月並みな質問をしたところ、にやりと余裕溢れるいつもの笑みを浮かべ、彼はぼくの胸に人差し指を突きつけた。
「あなたが真波びいきなのはよく知っていますが、勝たせてもらいますよ」
きみのチームは調子が良いようだね、相変わらずだなと思いながらそう応じたら、呆れたように東堂は肩を竦めた。
「寝ぼけたことを。マイヨ・グランペールをオレとあいつのどっちが着るかって話ですよ」
咄嗟に見返すと、至極真面目な顔で、東堂は頷いた。
「もちろん、ラルプ・デュエズのね」

ああ真波、きみの先輩は、なんてやつだ!
目を見ればわかる。彼は、本当に、本気で、きみとラルプ・デュエズの頂上を争うつもりだ!

 

さあ、始まる。最強にスペシャルなロードレースが!

世界中から駆けつけた自転車ファンの歓声が徐々に大きくなる。

この経験を楽しんでほしい。笑顔でシャンゼリゼに帰って来てほしい。
そう思う一方で、ぼくはどうしても期待してしまう。

ねえ、そろそろあの羽根を出そうか、真波。
ここ最近、きみにしてはずいぶんおとなしい走りをしていたんじゃないか?
チームのために、プロになるために、身体に負荷をかけず、オーダーに抗うこともせず、ただひたすら、誰かのために山を登っていただろう。

きみらしくないな。

自由に走る、それが信条だといつだって口にしていただろう。
真波、きみの相棒は、きみの背中で、きっと待ちくたびれているよ。

さあ、行け。両翼を伸ばし、風を切って、ラルプ・デュエズに名を刻め。
ぼくはあの日、きみを見た瞬間、確信したんだ。

きみは世界を穫る男だよ、真波山岳。

 

20XX年ツール・ド・フランス、開幕。

"Le vainqueur du Tour de France de cette annee est ―― "

 

作者様ご了承のもと、pixiv掲載のとても素敵な二次創作小説の設定を流用しています。
詳細、このレースの結末はこちら

photo by 写真素材ぱくたそ / Pixabay

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ミクロ
羽根の生えた自転車乗りを空の果てまで追いかけたい。