元・競輪選手、待宮栄吉。挫折を越えて。再び漕ぎ始めた、このペダル。

元・競輪選手、待宮栄吉。挫折を越えて。再び漕ぎ始めた、このペダル。

ないものねだりはもうやめた。持てるものの全てで――――前へ、進め。

 

※この記事では、待宮は元・競輪選手で、既婚者です(間接的に待カナを含みます)。その他、井尾谷が高校教師になっていたり、とにかく捏造過多でお送りします。

 

 

 広島県呉市。街の中心部から外れた郊外に、ぽつんと佇む店『 お好み焼き屋・火那(かな) 』。

「おお。東京からよう来たのぉ」

 のれんをくぐると、気さくに出迎えてくれたのはこの店の主・待宮栄吉(まちみやえいきち)

 かつて『(くれ)闘犬(とうけん)』と呼ばれ、その持久力と独自の戦術で次々とGⅠを制覇した競輪界の名選手だ。

 そんな彼が、どうしてこんなところにいるのか?

「引退してからの一年間。まるで地獄の底を這いずり回っとる様な気分じゃった」

 待宮の身に、いったい何が?

 引退から約二年。今、明かされる、栄光と挫折。

 誰も知らない悲劇の舞台裏が今、紐解かれる。

“呉の闘犬” 待宮栄吉。

 待宮栄吉。

 19XX年、広島県出身。

 広島呉南工業高校に進学すると、自転車競技部に入学。二・三年生の時に、インターハイの舞台を踏むものの、優勝は逃す。b9d02317d93b9e6144ede52913049bd5_s

 大学卒業後、ロードレースから競輪の世界へ足を踏み入れる。僅か半年という驚異的なスピードで競輪学校を卒業し、小倉競技場でデビュー。ロードレース出身ならではの凄まじい持久力と独自の戦術を武器に、翌年に開催されたルーキーチャンピオンレースにおいて見事優勝。その後も快進撃を続け、次々とGⅠを制覇していった。

 しかし、そんな彼を不幸が襲った。

 レース中の落車により、右大腿骨の頭骨を骨折。必死のリハビリを経て、日常生活に支障はないレベルまで回復するが、もう選手として走ることはできないと医師から宣告された。

 失意に沈む待宮。

「もう、『自転車に見捨てられたんじゃ』と、そう感じた瞬間じゃった。思えば昔からそうじゃ。あと一歩のところで僅かに及ばん。ホシはモッとるのに、ツキがなぁ。自分の宿命っちゅうやつを心の底から呪うたわ」

 引退後の彼は、自らを精神的に追い詰めていった。高校時代から交際を続けていた女性に一方的に別れを告げ、一日中誰とも会わず、酒に溺れ、夜明けと共に泥の様に眠る。そんな日々を、何ヶ月も過ごした。

 転機となったのは、友人との再会だった。

  「ある日突然、アラキタっちゅう高校時代からの腐れ縁の男がワシの家にやってきてのぉ。ワシの顔を見るなり、『何腐ってんだヨ』っちゅうていきなりワシの胸ぐらを掴んで殴ったんじゃ。ワシも頭に来て殴り返して、それからはもう大喧嘩じゃ。お互いに、ヘロヘロになるまで組みおうたわ」

 しかし、喧嘩の中でその友人の放った言葉が待宮を変えた。

『最初から何でも持って生まれてきた奴なんかいねェよ。どいつもこいつも、何かを手に入れてェから、必死になって走ってんだ。たったひとつやふたつ落っことしちまったぐれェで、今までおめーが必死に拾ってきたモン全部をダメにすんな。おめェはまだ、何にもなくしちゃいねーじゃねェか!』

 待宮がこれまで積み上げてきたものが何より尊いと知っている。荒んだ生活に身を落としていく彼を心から案じての叱責だった。

 友人が去った後、待宮はおそるおそる恋人へ電話をかけた。それまでのことを謝って、もう一度やり直そうと告げると、彼女は電話口で泣きながら頷いてくれた。

「まだ残っちょったもんがあると、ようやく気付いたんじゃ。『ワシには、信じて付いてきてくれる女がおる。自分の拳を痛めてまで、本気で怒ってくれるダチがおる』って」 

 そんな時、実家でお好み焼き店を営んでいた父が倒れた。さいわい、命に別状はなかったが、これを機に店は畳んでしまうつもりだと打ち明けられる。

 待宮は、跡を継ぐことを決意。一緒についてきて欲しいと、恋人の女性にプロポーズした。

 周囲の力も借りて、彼は少しずつ歩き始めている。

自分の弱さ、投げ出しかけた夢、周りから分けてもらった優しさ――――全て背負って、走り続けると決めた。

「せっかくはるばる東京から来たんじゃけぇ、本物のお好み焼きっちゅうやつを食ってけーや」1942f0e38bf4deee32cdce8fc889fe52_s

 そう言って待宮がテーブルに備え付けられている鉄板の上に置いたのは、この店の看板メニュー、その名も『闘犬スペシャル』。鉄板の上に垂れ落ちるソースが、何とも言われぬ香ばしい香りを放っている。麺入りなのが広島ならではだが、他にも一風変わった具材が入っている。まず、表面。青のりや鰹節などに加えて、薄くスライスされたビーフジャーキーがトッピングされているのだ。更に中にはモヤシやキャベツなどの野菜の他に、豚肉ではなく茹でた鶏のササミが入っている。

 肝心の味だが――――これが、文句なくおいしい。ササミの淡泊な味や野菜の仄かな甘さが、甘辛いソースやビーフジャーキーの味の濃さと絶妙な均衡を保っている。まさに『一度食らいついたら離さない』と言われた“呉の闘犬"の名にふさわしい、やみつきになる旨さだ。

 この確かな味によって、地元民だけではなく、ロードレース界にも熱烈なファンは多い。店内には、日本の若武者・福富寿一や、奇才・御堂筋翔など、人気のロードレース選手のサインがところ狭しと飾られている。

「店を継いで間もない頃、荒北が、友人の福富を連れて食べに来てのォ。それ以来、口コミで評判が広がったみたいで、福富の周辺におるトップ級選手の連中が店に来る様になったんじゃ」 

 おかげで店は大繁盛。店主である待宮から、福富たちの逸話を聞くために、全国各地から熱心なファンもやってくるという。

 無論、待宮自身も自転車から完全に降りてしまった訳ではない。

「週に何度か、店に余裕がある時に、ミヤにはうちの高校の自転車競技部でコーチをしてもろうてます。生徒は、あの“呉の闘犬”から直々に指導してもらえるっちゅうて、ワシなんかより全然言うこときくんじゃけぇ。よいよー、たまったもんじゃなあですわ(笑)」

 笑いながらそう言うのは、待宮の高校時代のチームメイト・伊尾谷さん。この店の常連客で、現在は地元の高校で教師をしている。彼も、待宮が引退を余儀なくされた時から決して彼を見放さず、ずっと寄り添い続けてくれた友人のひとりだ。

 一度は自転車に見捨てられたと思った。けれども、その自転車で培ったものが、今の自分を形作っている。道は果てなく、続いているのだ。

 取材の最後。待宮は現在の心境を訊かれて、こう答えた。

「道の上で頼りになるのは、己の力と、支えてくれる仲間じゃ。モッとるもんの全部を使って、前に進んでいく。そういうもんじゃろ? 自転車も、人の生も」

 栄光を知っていればこそ、挫折した時の闇は深い。

 けれども、もう彼は簡単に絶望に捕まったりしないだろう。

 呉の闘犬、待宮栄吉。彼のレースはまだ、始まったばかりだ。

 

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柳井 サラ
初代と二代目を応援する根っからの山神ファンですが、ここでは他校の記事ばかり書いてます。