「凡人主将」が表彰台の頂点に立った日。

「凡人主将」が表彰台の頂点に立った日。

いろは坂ヒルクライムを制したのは、Y大主将・手嶋純太。

秋の気配の近づく栃木県、いろは坂ヒルクライム。男子エリートの部では、Y大4年手嶋純太(22)が優勝。大学4年間の有終の美を飾った。

初めての、表彰台中央からの眺め。

「みんなが勝たせてくれました」
表彰台をゆっくりと降りた手嶋は、感無量の面持ちで語った。

中学で自転車競技を始め、高校、大学と自転車一筋。個人として表彰台の頂点に立ったのは、これが初めての経験だ。
「表彰台の一番上、最高の眺めでした」
優勝者に贈られる花束を抱きしめた努力家の主将の目には、涙が光っていた。

「エース手嶋」がY大の作戦だった。

先日のU-23の大会で入賞したクライマーを擁するY大。レース前半で飛び出せば、マークしていた他チームも主力を出さざるを得ない。
緩急をつけたアタックにクライマーたちの脚が疲弊したところで、チームメイトとともに着実に坂をのぼってきた手嶋が後を引き継ぎ、いろは坂の最大斜度を駆けあがった。

ラスト50mは、M大3年のエースと一騎打ち。溜めていた脚で最後までもがいた手嶋が僅差でゴールラインを先に駆け抜け、青く抜ける空に拳を何度も突き上げた。

努力家の主将。インカレは裏方に回った。

自ら「凡人」を名乗る。強豪Y大において、手嶋純太はけして突出した選手ではない。
むしろレギュラーの当落線上というレベルだ。

だが、昨年の主将は迷わず手嶋を後継者に推した。部内からも反対の声はひとつも上がらなかったという。
腐らず練習に明け暮れる実直さ、自分より実力が上の後輩を素直に認めて励ます度量、チームメイトの不調にいち早く気づく視野の広さ、試合では誰よりも全力を尽くす熱い競技姿勢。
そうした人柄が認められての、主将就任だった。

主将となっても、レースにおける役回りは変わらない。レギュラーとして出走する場合でも、山でのアシストがその主な役割だ。華々しい結果を自らが手にすることはほぼない。
だが状況を見極めて対応する臨機応変な判断力と、モチベーターとしてのマネージメント力は、しばしばY大に好成績をもたらした。

大学の集大成と位置づけられる夏のインカレ本大会では、手嶋は結局、補欠に甘んじた。
レギュラーメンバーの体調や精神状態を気遣い、補給を指揮し、情報収集に走り回って、手嶋純太主将の4年目の夏は終わった。

だからこそ今大会、Y大自転車部は一致団結し、彼らの主将を表彰台の高みに押し上げたのだ。

生涯忘れない景色を、かつて見た場所。

いろは坂は、手嶋には特別な場所だ。

4年前の夏の高校インターハイ栃木大会。
やはり主将として、前年度優勝校のプレッシャーを背負って出場した大会の初日、最初の山岳ステージがここ、いろは坂だった。

山のエースとして据えた後輩・小野田坂道は他校のブロックに遭って後方へ追いやられ、最大のライバル箱根学園は満を持してエースクライマーを送り出す。
この難しい場面で、セカンドクライマーとしてチームを率いていた手嶋は自ら、箱根学園の超高校級クライマー・真波山岳に挑んだ。

先行した他校のクライマーを次々と抜き去る真波に、手嶋は必死で追いすがる。
ゴール直前、残り400m地点で真波がマシントラブルにより失速。山岳リザルト争いは、その隙を突いて逆転した手嶋の独走勝利となるかに見えた。

しかし真波の遅れに気づいた手嶋は脚を止め、残り300m地点で真波を待つ。
そして追いついた真波を迎え、正々堂々の一騎打ちを繰り広げたのだ。

結果は真波の勝利。高校最大の大会、インターハイに名を刻む千載一遇のチャンスは、手嶋の手からすり抜けた――。

 

当時の話を持ち出すと、手嶋は照れ笑いで「もう時効ですよ」と手を振った。
「ガキの意地でしたし。いまあれと同じことできるかって言われたら、自信ないです」やや偽悪的な物言いのあと、でも、と目を細める。

「あのとき――インターハイの山岳ステージを先頭で走ってて、リザルト地点のレストハウスの赤い屋根が目に入ったとき。この光景を生涯忘れないな、って思いました。輝くみたいにきれいな景色でした。
あのままチェーンが外れた真波を置いてリザルトラインに飛び込んでも、たぶん誰もオレを責めなかったと思います。そのまま行け、振り向くな、って声も、いくつも聞こえてました。
でもそこで行ってしまったら、あの景色はオレの中で色褪せてしまうんだろうなあって……もう、一番きれいなものとして思い出すことはできないだろうなって、そう思っちゃったんですよね。
後悔しなかったわけではないけど、あの日のオレはああしかできなかったろうなあとは、今でも思います」

けれど、と再び逆接の言葉を続け、手嶋は無人の表彰台を振り返った。

「やっぱりどこかで引っかかってたのかもしれません。
だから今日、このいろは坂で勝てたのは本当に嬉しいです。掛け値無しの、一生忘れない景色を、あそこで見られました。
――みんなが見せてくれたんです、こんな不甲斐ない主将に。

自転車、続けてきて良かった」

もちろん、いろは坂ヒルクライムは、それほど大きな大会ではない。インカレ常連校のうち出場したのは数チーム、下級生中心の編成とした大学もあった。

それでも手嶋純太がレース勝者としてこの地に名を残したことには変わりがない。

山を真っ赤に染める秋を先取りしたような熱く燃える戦いを制した努力家のクライマーは、チームメイトへの感謝の言葉とともに、良く晴れた青空を見上げた。

4年間の、その先へ。

この大会をもって、Y大自転車部員としての手嶋の競技生活は終了。
主将の座も後輩に引き継ぎ、Y大の来年に向けたチーム作りが始まるという。

卒業後の進路については言葉を濁されたが、これからも自転車を続けるのかという記者の問いに、彼はにっこりと笑ってこう答えた。

「ええ、もちろん!だってオレは、自転車が大好きですから」

 

photo by All Japan Cycle Road Race Championships | Flickr – Photo Sharing!

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サイクルタイム編集長
編集長兼サイト制作者。某箱根の山神の走りに惚れ込み、高校生たちのレースを追いかけている内に、気がつけばこんなところまで来てしまいました。選手たちの勇姿は勿論、自転車に関わるさまざまな人々の魅力を多方面からお伝えして行ければと思います。